ピクニックの発祥はフランス。しかしレジャーとして確立したのはイギリスに伝わってからのこと。19世紀ロンドンの社交界で「ピクニック・ソサエティ」が発足し、上流階級のあいだでピクニックが大流行したのだ!興味深いことにこのピクニックの流行は、1837年から1901年までのヴィクトリア朝にちょうど重なっている。ヴィクトリア朝とはどんな時代だったのか、そして当時の人びとはどのようなピクニックを楽しんでいたのだろうか。

 

ヴィクトリア朝とピクニックの流行

ヴィクトリア朝

ヴィクトリア朝とは、ヴィクトリア女王が在位していた時代のこと。そのころのイギリスは世界で初めて産業革命を経験し、鉄道や通信、印刷技術などが発達した。また領土も拡大の一途をたどり、繁栄を極めた時代と言える。

産業が発展するに従って、上流階級だけでなく中流階級の人びとも豊かになった。それに伴って生活のあらゆる部分で、豪華で贅沢な装飾が流行した。たとえばドレス。

 

細く絞ったウエスト、ふわりと長いスカートが優雅な印象。機械化されて安く買えるようになったフリルやレースがたっぷりと飾られているのがわかる。

装飾的なのはドレスだけでなく、お部屋も同じ。豊かさを誇示するために、暖炉や出窓、壁などを飾り立てた。よくあるのは壺、人形、植物、絵画など。

ヴィクトリア時代に発表された「鏡の国のアリス」でも、暖炉の上に飾ってある鏡から、アリスの冒険がはじまる。

 

ヴィクトリア朝の女性

有名なアフタヌーンティーは、ヴィクトリア時代の社交の場として始まった。ちょっと小腹が空く午後の時間に、紅茶と軽食を食べながらおしゃべりをする女性たち。私たちが思い描く優雅なヴィクトリア朝のイメージそのものだ。

こまごまと飾ったお部屋で、あるいはバラの咲くガーデンで、午後のティーパーティを楽しんだことだろう。メニューは定番のキュウリのサンドイッチ、スコーン、ドライフルーツを焼きこんだケーキに、たっぷりのミルクティー。

 

このような優雅な婦人たちに、労働は似合わない。実際のところ、贅沢にふくらんだドレスを着て家事はできない。ヴィクトリア時代では、上流階級はもちろんのこと、中流階級の家庭にも、かならず家事使用人がいた。女主人は掃除や洗濯、料理など、指示を出して管理はすれど、実際に手は汚さないのだ。

母親は子どもたちのお世話もほとんどしなかったようだ。子どもたちは一日中、子ども部屋で乳母と過ごす。遊ぶのも、食事も、寝るのも子ども部屋。親子が日常的に一緒にいないので、いつでもやさしくきれいな母親と、いつもいい子で天使のようなわが子、というお互いの美しい一面だけを見ることができた。非常にヴィクトリアっぽさを感じる。

アフタヌーンティーを楽しみ、家事や育児はしなくていい。一見気楽そうでうらやましい限りの彼女たちの生活だけど、そこには「持てるものの義務」があった。ヴィクトリア時代は中流階級が豊かになる一方で貧富の差が大きくなり、貧しい人びともたくさんいた。そのような人びとに施しをしたり、看病をしたりという奉仕活動は、彼女たちの重要な仕事とされていたのだ。

 

ピクニックの流行

人びとの生活が豊かになり、国としても繁栄を極めていたイギリス。その繁栄と比例するように出てきた問題があった。それは大都市ロンドンの環境が悪化してきたことと、忙しくなった人びとの気持ちにゆとりがなくなったこと。現在の私たちにとっても、大いに共感できる問題だ。こんなに昔から問題になっていたなんて。

そんな日常から束の間でも逃げ出したい、そこでピクニックの登場。忙しく殺伐としたロンドンを抜け出して、行きつく先はのどかな田園。新鮮な空気と美しい風景を楽しみながら、古き良き懐かしいイギリスへと思いを馳せたことだろう。どっさりとバスケットに詰め込んできたランチとワインで、美しい夏の一日を楽しんだのだ。

この時代にピクニックが流行したのは、偶然ではない。そして今の日本でも、ピクニックの人気が高まりつつあるように感じている。