旧軽井沢銀座をぶらぶらと抜けて、軽井沢ショー記念礼拝堂へ。ここは軽井沢を知るのにとても重要な場所。あまりにも基礎の基礎だからなのか、本当のところはわからないけど、前回の軽井沢WEB検定3級にはもはや出題すらされませんでした。

 

ショー記念礼拝堂

避暑地軽井沢 発祥の地

ショー記念礼拝堂は、軽井沢を避暑地として国内外に広めたカナダ人宣教師のA.Cショーさんによる、軽井沢最古の教会です。軽井沢が今日のような別荘地になったのは、ショーさんがこの地の自然や気候に、避暑地としての魅力を見出してくれたから。

江戸時代の軽井沢は中山道の宿場町として栄えていたのだけれど、明治時代に入ってからはその機能を失い、一時廃れてしまいました。そこに偶然やってきたショーさん、日本の蒸し暑い夏に辟易していました。軽井沢は故郷のカナダの気候によく似ている、ということで毎年避暑に訪れるように。そして他の外国人や日本人にも紹介したのです。徐々に外国人避暑客が増え、彼らの生活の需要を満たすために、パン屋さんやジャム屋さん、ハムやベーコン等のお店ができていきました。またショーさんは宣教師だったため、生活は質素・倹約。そのため軽井沢には清潔で品行方正な文化が培われていったのです。

こうしてみると現在の軽井沢があるのは、まさにショーさんのおかげ。そんな避暑地軽井沢発祥の地と云うべきショー記念礼拝堂へ、今回はじめて行ってみました。

旧軽井沢銀座を最後まで登り、左手のつるや旅館を通り過ぎて更に進みます。突然商店街から静かな道になるので、本当にこの先にあるのだろうかと不安に感じつつ歩く。このまま行けば山道に入ってしまうのではないか、引き返そうかなと思うあたりで、おや、見えた!

 

 

まず「避暑地軽井沢発祥の地」という看板とショーさんの胸像が道の左手に見えます。厳密な木立ではなく、なんとなく木に囲まれた、といった感じのアプローチの先に、こじんまりした木造の教会。近くまで行ってみたけど、残念ながらこの日は閉まっていました。

ショーさんが別荘として使っていた建物がこの近くに移設されているはず‥。とウロウロしてみると、教会を右側に回り込んだ先に見えました。鐘楼を左手に見てその先です。こちらは教会に比べてあまり人が来ないのか、建物までの道に雪がかなり残っていました。けれどあたたかい陽射しが建物を照らし、とても明るくて開放的な、清々しい空気。

 

 

遠目に見ても閉まっているのは明らか。しかしガラスの扉から中を覗いてみたいと思い、基本ズボズボ、ところどころツルツルの雪の上を、両手を広げて平衡感覚を保ちながら、なんとかポーチまで歩きました。

ここでとてもドラマティックなことが。不安定な雪の上から、しっかりとしたポーチの木の階段を踏みしめ、一番上のステップに足をかけたちょうどそのとき‥教会の鐘の音が、響き渡ったのです。ちょうど12時になったのでしょう、おそらく12回鳴ったと思う。そのあいだポーチに立って春の明るい陽射しと、反対に雪の残る冷たい空気、そして鐘の音しか聞こえない静寂を味わっていました。

実はこの鐘の音がショー記念礼拝堂の鐘が鳴った音なのか、本当のところはわかりません。もしかしたら他の教会から聞こえてきた音か、あるいはお昼を告げる町の町内放送のようなものだったのかも。そうであったとしても、ポーチに足をかけた瞬間に鳴り響いた鐘の音はとても厳かで、タイミングもまさに神懸っていました。ショーさんが、そして軽井沢が私を受け入れてくれた祝福の鐘だったと空想したら、ちょっといい気分。

ところでせっかくポーチまでたどり着いたものの、案の定閉まっていました。内部が公開される夏にまた来たい。その時はきっと周りの木々の緑が美しく、一層避暑地軽井沢らしさを満喫できることでしょう。

でも、早春のこの日の、陽射しと静寂を独り占めしたことは忘れません。