コロナの感染拡大とそれを防ぐ外出自粛が続くなか、業種業界問わずさまざまな影響を、みんながなにかしらの形で受けていると思います。私の住む信州の田舎も例外ではなく、お店は軒並み休業や短縮営業、入り口にはアルコールスプレー、マスクはいまだに買えません。

つい半年前まで東京に住んでいた私は、便利さと豊かさをトレードオフして信州に移住してきたわけですが、もうそのころとはすでに状況が変わっているように感じます。つまり都会にいるからといって必ずしも便利ではないのかもしれない。コロナの自粛が続く限り、という意味ではなく、コロナ後の世界では、という意味です。

自粛中だから、というわけではなく、基本いつでも引きこもっているのですが、このような状況でいろいろ考えることができたのでちょっと整理するために書いてみます。いま私が考えていること、というだけなので、共感できないことがあるかもしれません。が、そんなふうに考える人もいるんだ~くらいに受け取っていただけると有難いです。

 

何のために生きるのか

↑かなり重いテーマみたいになってしまった笑 だけどこれは本当は重いテーマではなく、生きているみんなが常に自問自答するべきとてもシンプルな問いだと思います。人はこの世に生まれた以上、いつか死ぬことが決まっています。楽しく生きても苦しく生きても、死は必ずやってくる。だったら死ぬまでのあいだをどのように過ごすのか、だけが、究極的には人生で唯一の問いだと思うのです。

みんなと同じ教育を受けて、みんなと同じものを持ち、一斉に受験をして、一斉に就活をして。悪くなくても謝らないといけないこともあるし、嫌いな人ともうまくやっていかないといけないし、楽しくなくても笑わないといけないし。だけどたまに自分を俯瞰で眺めている瞬間があって、なんでこんなことしているんだろ、とぼんやりと考えていました。なんのために生きてるんだろ、って。

私は今まで、2回ほど人生をリセットしております。最初は婚約のご破談。夫になる予定だった人と当時一緒に住んでいたのですが、毎朝起きて仕事に送り出し、私も仕事に行って、帰ったらごはんを作って食べて片付けて寝る。次の日も同じ。その次の日も同じ。この繰り返しがあと60年続く‥と思って途方に暮れたものです。いや、生活ってそういう単調なものだよ、という意見も尤もですし、今の生活だって言ってみれば単調です。だけどその時の生活には違和感があって、それはまるで自分の人生を生きていないような感覚。自分の人生はここではない、とどこかで感じている自分がいた。今となっては幸運なことに、私はその人に振られたので、違和感人生からの離脱ができたと思っています。

 

次のリセットは信州移住。ついこの前のことです。移住するときにはそんなつもりではなかったのだけど。今になって思うと、東京の便利さを手放して、多少不便でも人間らしい生活を求めたときに、このまま送る予定だった人生の行く先が変わりました。

じゃあ移住することで失った東京の便利さってなんだろう?移住して感じたのは、たしかに徒歩圏内に飲み屋はありませんし、駅前に繁華街もありません(まずその駅が遠いし)。ウィンドーショッピングするようなデパートもありません。だけど、なくても不便ではないのです。代わりに家で食べるごはんが充実するようになりました。余計な物欲やコンプレックスに振り回されなくなりました(広告はコンプレックスを刺激するようにできている)。便利だと思っていたことはみんな、東京目線から見た便利さ、というだけだった。東京を離れるとまた別のものの見方があり、別の時間が流れていることがわかった。そうなるといよいよ、東京住みのメリットだと思っていた便利さは、失ったところで痛くもかゆくもないのです。昔よく行ってたドラッグストアのポイント期限が切れちゃったけど、もう行くこともないからまあいいか、みたいな感じでしょうか。

 

さて、そうであるならば、東京に住む限りはその便利さを享受できると思うでしょう。私たちもそれと引き換えに、高い家賃や人口密集とそれによるストレスを我慢してきました。しかし現在、状況が変わりつつあるのは周知のとおりです。自粛を要請されているので迂闊に外出もできないし、外に出たところでお店もなにもやっていない。すぐそこに娯楽施設があり、文化施設があり、夜中でもやっている飲食店がある。そんな当たり前が、もう当たり前ではないはずです。

当たり前だったことが、当たり前ではなくなってしまう。今まで信じてきた、というか疑うことすらなかったことが、本当は違った、もしくはすでに有効ではなくなってしまった。この感覚は、3.11のときと近いものを感じます。まさにパラダイムシフト。ものごとの見方、考え方、もしかしたら生き方までもシフトすることを余儀なくされていくのかもしれません、コロナ後。収束したら今まで通りの日常が戻るだろうと、なんとなく思っていました。が、社会全体がこの非常事態を経験したあとに、もはや元通り戻るとは考えにくいかと。もっと言うと、収束した暁には、元に戻るだけじゃ勿体ないと思うのです。ぜひコロナを利用して、人生を一歩前へ進めるというのはいかがでしょうか。3.11の後には、関東を離れて移住する人たちが増えたと聞きます。何のために生きるのか、そのためのシフトチェンジ。

たとえば必要に駆られてテレワークを始めたけど、案外イケるな、という人。レストランだったけどテイクアウトスタイルに変更を余儀なくされ、それが軌道に乗った人と、そのテイクアウトを利用して家事負担を減らした人。自宅にいる時間が増えて家族の絆が深まった人。遠くにいる親の様子を以前より気に掛けるようになった人。自分について、社会について、政治について、経済について、世界について、何のために働いているのか、何のために生きているのか、考えるきっかけとなった人も多いと思います。もちろんコロナは災害ですし、一日も早い収束を祈らずにはいられません。しかしなにかしらポジティブな影響も残していってくれるのではないかとも、同時に思っているのです。地球の環境汚染がここのところ改善しているという話も聞きますし。